ふる~~いオーディオ装置の話

ふる~~いオーディオ装置の話 | ベニイ電機店長ブログ

当店は、私の親父(11年前に他界)が創業したお店です。
昭和29年の創業当時は、売る物と言えば裸電球に、自分で組み立てた真空管ラジオぐらいだったとよく言っていました。
電気屋の家なので、子供の頃から一般家庭に比べればテレビやオーディオ(当時はオーディオとは言わず、ステレオと言われていた)を買ってもらえるタイミングは早かったような気がします。
一番最初に自分で購入したレコードが、たしか「いしだあゆみ」の「ブルー・ライト・ヨコハマ」だったと記憶しています。
1968年12月25日リリースとありますから、私が小学校5年生のころだったんですね。
ということは、今と違って、自宅と店舗がかなり離れていたので、自宅で聴くためというよりも、お店で聴くためのデモレコードのような感覚で、レコード屋さんへお使いに行かされたってところでしょうか。
今やそのレコード(いわゆるドーナツ盤と呼ばれるシングル盤でした)はどこを探しても残っていません。 当時の「ステレオ」は、今のオールインワンミニコンポを大きくしたような形で、木製キャビネットの中にチューナーアンプとレコードプレーヤーが一体化されたセンターユニットの両サイドにこれまた、大きな木製エンクロージャーのスピーカーを配置した、コンソールタイプステレオまたはセパレート型ステレオが全盛でした。
そのステレオ装置を田舎の方では、応接間とか洋間とか言われる部屋に置いて、ソファーに座り、ウィスキーなどすすりながら音楽を聴くというのが一種のステータスシンボルのようになっていました。
無論、私は小学生でしたから、酒の味など分かりませんでしたが(^_^;)

1967年ころの広告には¥59,800とあるが、この頃の 大卒初任給が25,000円くらいだったそうですから 給料の2ヶ月分以上。今は、10倍くらいとすると、60万円のステレオなんですね。婚約指輪を買うか、ステレオを買うか、それが問題だ(笑)

じゃあ、最初に購入したLPレコードは何だったのか? 全く記憶にありません。
いわゆるコンポ(コンポーネントステレオのことをそう呼んでいた)を買ってもらったのが確か中学2年か3年の時くらいだったはず。
その時に買ってもらったものの内、現役で残っているのは、Lo-D/日立のスピーカーHS−500のみである。
このHS−500は、発売当時1本65,000円もしたのですが、やはり家が電気屋だったので、中学生の身分ながらこんな高額なものを買ってもらえたのだなあと、今になって思います。
今なら30万円以上のスピーカーですね。
発売開始が1968年からなので、私が現在持っているのは中期のものかも知れません。
その時持っていた他のシステムはどんなだったか?
プリメインアンプ:Lo-D HA−660 ←すみません勝手にリンク貼らせていただきました。
スピーカー   :Lo-D HS−500
レコードプレーヤー:Lo-D ??  高校入学時PS−44か?
カセットデッキ:当初SONYのカセットデンスケ後にLo-D D−980DD
オープンリールデッキ:当初無し、後にSONY TC−6650
チューナー:Lo-D FT−400 ←とても曖昧な記憶 このコンポ1式を大学時代、下宿へ持ち込んで、カセットテープやオープンリールデッキにFM番組を録音しまくり、友達に借りたレコードもダビングしまくりました。

また、学生生協でレコードもたくさん買いました。
大学卒業時、就職先は寮生活なので、プリメインアンプ、レコードプレーヤー、チューナーは、下宿屋さんの娘さんに払い下げて、スピーカー、カセットデッキ、オープンリールデッキは、故郷の自宅へ持ち帰りました。
その後、カセットデッキからは煙が出て、廃棄処分。
オープンリールデッキは、箱にいれたままの状態で、倉庫に眠っています。
そのうち、箱から出して動かしてみようかなあ。 カセットデッキのように、煙が出て、浦島太郎になったりして(^_^;)
なので、現在残っていて、動作しているのはスピーカーのHS−500のみということになってしまいました。

このエントリーを含むはてなブックマーク Buzzurlにブックマーク livedoorクリップ Yahoo!ブックマークに登録

タグ

2010年6月19日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:オーディオ

トラックバック&コメント

この投稿のトラックバックURL:

コメントをどうぞ

このページの先頭へ